市教育センター研修(道徳)

今日は柏崎市教育センターが主催する研修会に参加させていただきました。今年度のこれまでの人権・同和、防災教育、学校安全、放射線教育の研修に続き、今日は「道徳教育」についてでした。師範授業として上越教育大学の小宮健特任教授による比角小学校の6年生の授業を参観した後、今の道徳についての講義を聞きました。

小中学校で「道徳」が教科として位置付けられ、指導計画に基づいて毎週確実に授業が展開されて3年目になります。私が教員だったころも当然毎週1回の道徳は時間割の中に位置付けられていましたが、その評価を通知表に家庭に通知をすることはしていませんでしたし、今よりやや緩い感じで取り組んでいたように思います。今では年間計画に従って、他の教科と同じように教科書を用いながらの指導を行っています。教員側の意識も以前とは違っているのではないかと思います。その中私は教員時代から特に、道徳の評価は大変難しいと思っていました。何をもって評価し、それをどのように通知していくのか、…現場を離れてからなおさら考えを巡らせてしまいます。

そんなこともあり、今の教育現場では道徳はどのような指導が行われているのかは大変興味があるところでした。今日の授業公開は小学6年生で、指導者は大学の教授、とはいえ教員経験者ですが、でした。道徳は特に指導者と児童生徒の人間関係がしっかりとしていなければ深まらないと考えています。師範授業としていろいろな学校で指導している指導者は他の小中学校でも同じような授業を行ってそれなりの自信をもって臨むだけにどうしても児童生徒に価値を誘導してしまうのではないか、という懸念をもってしまうのです。

師範授業として取り上げたのは、道徳的価値でいうと「正直・誠実」で、資料は「手品師」でした。その資料のあらすじは以下の通りです。

あるところに腕は良いがその日のパンも買うのもやっとというありさまの貧しい手品師がいた。彼は大ステージを夢見て日々腕を磨いていた。ある日、町を歩いていると小さなしょんぼりとした男の子に出会った。声をかけるとその少年は父親が死んだ後、母親が働きにでてずっと帰ってこないので寂しがっているとのこと。そこで手品師は手品を見せて喜ばせたところ、大喜びしたその少年から「明日も来てくれるか」と問われ「必ず来る」と約束して別れた。その夜、手品師のところに仲のよい友人から電話がかかってきた。その内容は、明日の大劇場で手品が催されるが、予定した手品師が急病のため代行者を探しているというものであり、友人はこの手品師を推薦したという。彼は考える。手品師として世間に認められる千載一遇のチャンスではあるが、そのためには今夜出発しなければならない。だが、明日は少年と交わした約束がある。しばしの葛藤の末、手品師は友人にこう答える。「せっかくだが先約があるので明日は行けない。」そして手品師は次の日、大劇場ではなく一人の観客のまえで手品を演じるのであった。

この手品師の決断についてどう考えるのか、を深堀していくという授業の展開ですが、教員として考えるのは、手品師自身の夢である大劇場への出演を果たすことと子どもとの約束とどちらを優先して行動をとるのか、を考えさせる方向で進めるのではないかと想像していました。その通りの展開で進みましたが、果たしてそれでいいのかということが私の頭に浮かび、どうしても授業構成に納得がいきませんでした。だって、このくらいの年齢になれば、どうすればこの2つのことを両方ともかなえられるかを考えるからです。そういう思考をする児童生徒をイメージできていない、現実なら両方ともかなえる方法を考えるという選択肢を児童生徒に視点として持たせるべきではないかと考えるのです。まあ、そうすると道徳的価値にたどり着けないのかなあ。とするとこの資料での授業は適切ではないのではないか、…などと巡ってしまいました。

授業公開後の講義の中で、講師の小宮先生は、中学生用の「銀色のシャープペンシル」という資料を使った模擬授業を参加した先生方を相手に行いました。資料全文はこちら。これも先生が想定している授業構成に疑問を感じてしまいました。だって、私はこの主人公である「ぼく」がこの後に取る行動は、「同じシャープペンシルを買いに行く」しかないと考えたからです。自分の過ちをその関係者に吐露し謝罪することが正しいことで美しいこと、というのが前提にある価値観では今の世の中うまく世渡りなどできません。そういうことが誠実であるとは限らないと思うのです。時には構築してある人間関係を壊さないように自分の心にどう折り合いをつけていくのか、人間関係を優先したときに取る嘘も方便という価値をどう考えるのか、など指導者として押さえておかなければならないことが抜けて、その指導者の価値観を押し付けてしまう、あるいは誘導してしまうような授業が行われているとするなら、それはやや危険なことかもしれません。そんな授業は行っているところはないと思いますが。子どもは敏感ですし、今のこの世の中を生きています。教師が考えていること、発言してほしいことをすぐに感じ取ります。自分の真の気持など正直に表現する純粋な子どもはどれだけいるでしょうか。教員として理想を求め子どもに伝えようとするだけでなく、これも大切なことだと思いますが、もっと現実社会の状況の中で生きている子どもの実像を捕らえ、この社会で幸せに生きていくための視野を広げられる指導、多様な価値や多様な行動様式の中でこれ以上踏み込んではいけない一線を踏まえた授業構成、をしてもいいように思います。・・・そういうことを考える一般人もいます。

つまらないことを書いてしまいました。自分が教員だったならばどんなことを感じ、同じ資料を用いるならどんな授業構成にするのか、を考えてしまったためこんなことを書きました。今の社会状況、子どもが置かれている状況、を教員という立場と教員ではない立場の二通りあったとすれば、視点ももののとらえも子どもへの指導も違ってくると思います。どちらが正しい(?)のかはわかりませんが、こうするべきだという凝り固まった思考で子どもたちに対峙することは教員としてだけでなく、親としてもしない方がいいのではないかと思う今日この頃です。

今日の研修の講師の小宮先生、比角小学校の子どもたちや先生方、ありがとうございました。とても充実した興味深い時間を過ごさせていただきました。

また、今日は中越沖地震発生から14年目の日です。この中越沖地震は日本全体からするとごく限られた一部の地域での地震です。しかし、私たちからすると人生の中で大きな節目となる出来事の一つとして深く刻まれています。少なくとも今後柏崎市で生活する人、柏崎で生まれた子どもたちにはしっかりと伝えていかなければならないことだと思っています。

投稿者: shigeno