市教育センター研修(人権教育、同和教育)

この「人権教育、同和教育」についての研修会にも毎年のように参加させていただいています。教職員向けの研修に参加するのは、そのテーマの知識や現状を理解するためでもあり、子どもたちへどのような教育を施しているのかを知るためでもあります。

まずはこの写真の🔲に入る言葉は何でしょうか。いつもの導入ですが、いかがでしょう。差別の反対語、それを動詞形にしても成り立つ言葉です。平等とか公平とかだと動詞形になりにくいですよね。答えは一番下に書きます。

今日のテーマの一つ「人権教育」は、日常的にも使われることがある言葉でもあり、日本においても最も大切にされなければならないことの一つです。現在では、障害者差別禁止法やLGBT法といった法律も制定され、国民の意識も高くなっていますから、学校生活における子どもたち同士のいじめやからかいだけでなく、子どもと教職員間のハラスメントも人権尊重という観点では対象となり、その視点での研修も必要なのかと思います、

もう一つの「同和教育」ですが、この言葉は地域によっては日常生活において、ほとんど聞くことがありません。しかし新潟県の教育においては、「同和教育を中核に据えた人権教育を推進する」ことになっているのです。つまり、「同和問題の解決なくしては人権が真に尊重される社会は実現しない」ことを言っているのです。この同和教育の目的は、部落差別をはじめとするあらゆる差別の解消であり、目標は、偏見や差別をなくす意思と行動力を持った人間の育成です。よくわからないかもしれませんので、同和問題として課題としていることを紹介します。それは、「生まれ育った故郷や住んでいるところで人の値打ちを決めつけること」です。本人の努力や頑張りとは関係のない、諸々のことで「人の値打ちを決めつける」ことをなくしていく教育を推進していこうとしているのです。「被差別部落」は江戸時代まで存在し、そこで生まれたからというだけで差別を受けていました。明治になり被差別部落を解消するという名目で、そこの出身者を「新平民」と位置付けたことで明治以降も差別がなくなることはありませんでした。

柏崎市においてはこの同和問題はそれほど大きな問題となっていないところですが、新潟県内でも他の地域、あるいは特に関西の地域ではいまだにこの問題は大きく扱われています。ただ、同和問題というと教育関係とは違ったところで別の問題として社会では扱われることがあります。教育に携わる者としては苦々しい気持ちになるところかもしれません。

今日の研修の最後に、「無知こそが差別の始まりである」というハンセン病家族団の林団長の言葉を紹介されました。「差別されるからかわいそう」ではなく、「差別する人の心が悲しい」とする加差別の不幸を教育によって知らせることが必要だということです。

🔲に入る言葉は、「尊重」です。

投稿者: shigeno