市教育センター研修(同和教育)

悪田の渡し

今日は市教育センター研修の講座で同和教育に関しての市内巡検に参加しました。市民の皆様の中には、今さら「同和問題」「被差別部落」というものは存在しない、と考えている方々も少なくないと感じています。しかし、学校教育としてはこの「同和教育」を正確に、確実に指導していかなければなりません。新潟県ではこの同和教育を中核に据えて人権教育を進めています。

模擬原爆投下の地

被差別部落の問題は、産まれながらに差別を受けてきた人たちが存在すること、そしてそれは意図的につくられたもの、それらは日本固有の問題である、とされています。この被差別部落、同和問題の発生は遠く江戸時代にさかのぼります。ですからもう現代ではそんな問題の存在などない、と言う人もいることにはある程度の理解もできます。しかし、実は現代でもこの問題は存在続けているのです。私たちには見えないところかもしれませんが。

柏崎市にも同和地区は存在していました(います?)。小規模で散らばっており何世代も経っているので、どの場所だとか、どこの家だとかは特定できません。し、当然そんなことを特定することは許されることではありません。全国的に、お城や陣屋があるところの周辺、馬や牛などの生き物を扱っていたところの周辺、低い位置にあり洪水などで被害が出やすいところなどに、被差別部落があったという記録はあります。

桃林開発の塚田さん碑

しばらく前の同和教育で指導されていた内容と現在の指導内容はやや異なっているようです。被差別部落で生活していた人たちの社会における貢献度はものすごいものがあると認知されてきました。ものづくりの職人や芸能の達人などが出たようです。このように歴史は日々刻々と内容が更新されています。昔は鎌倉幕府の成立は1192年が定説でしたが、現在は1185年なのかもしれないと、どちらも教科書に記載されているようですから。

今日は市内巡検ということで、同和問題だけでなく、柏崎刈羽の成り立ちや出来事を学んできました。

赤田城跡

悪田の渡し(今の安政橋のところに田中角栄が記した記念碑がある)→橋場の渡し(悪田の渡しが使えない時に今の開運橋のあたりにあった)→模擬原爆投下地跡(長崎新田にあり、昭和20年7月24日に、長崎のファット万型の模擬原爆が投下、2名が亡くなった)→山王神社(刈羽の桃林を開発した塚田さんの碑)→割町新田(砂丘地だったところを開発して田んぼにした猪俣さんの碑)→赤田城址(刈羽村がここから栄えた中心地)→椎谷馬市跡・椎谷陣屋跡(椎谷は柏崎と同じ藩ではなく独自の藩として発展していた)

椎谷馬市跡

午前中という時間の中でしたからほんの一部の巡検でしたが、それでも柏崎刈羽の歴史を感じられる巡検でした。講師を務めてくださいました新潟工科大の秋山先生、ありがとうございました。

投稿者: shigeno